人生があまりにも変わりすぎて、呆然としてしまう

(自分のnoteより転載しました)

人生が、あまりにも変わりすぎた。

私は、四柱推命で言う 30年に1回の、人生の切り替わりの時期を、つい数ヶ月前に迎えた。

いきなりその時に変わる訳ではなくって、前後数年間をかけて変わっていく。

自分で言うのもアレだが、浦島太郎の逆バージョンみたいなもので(灰色や黒の人生から、少し色つきになった)、あまりの変貌ぶりに、自分でも驚く。

しかし何と言うか、今までの自分って、本当に病みすぎていたなと思う。

今考えると、昔の自分の思考回路が、理解できない。
自分のことながら。

全てのことが、自分の責任で、自分が悪いと思っていたし、
周りは、ごくごく一部の人を除いては、ほぼ全て敵だと思っていた。

何を言われても、何を聞いても、周りの人間は 自分のことをバカにしているように見えたし、

末期の頃には、笑って近寄って来られるだけで、またバカにしていると思っていた。

人間が怖すぎて、いつも悪口を言われているような気がして(これは実際、そういう職場だった。早く辞めればよかったと、心から思う)、ストレスからすぐにパニックを起こして、息もまともにできなくて、ビニール袋で息をしょっちゅうしていた。

自意識過剰かよ、被害妄想かよ、とも思うが、劣悪な環境やストレスに長い間さらされて生きていると、こうなってしまった。

ゆっくり考える間も中々なくて、人生の荒波に揉まれながら、息をつく暇もなく頑張り続けて、ブレーカーが落ちて、また頑張って、ブレーカーが落ちて、また頑張って、

文句も愚痴も言わず、人が期待する私を演じ続けて、辛くても笑顔でい続けて、きれいな言葉を言おうといつも努めていて、我慢に我慢を重ねて、

それを繰り返してもう動けなくなった時に、やっと自分というものを見つけた。

 

本当にあの頃の自分って、過去に呪われてたなと思う。

ノイローゼすぎて、今にも切腹しそうな自分責めを常にしていて、本当に地獄のようだった。

自分が自分をバカにしていたし、15年や20年、毎日毎日、自分を刻しながら頑張っているのに、自分をいたわるという発想が、全く湧かなかった。

やりたいことをできなかった悔しさや悲しみとか、若すぎる時間を 自己犠牲と自分を嫌うことに使ってしまった悲しみは、今でも募る。

スピリチュアル的に、自分で選んで生まれてきたとかは知っていても、私も人間だから、悲しみはやっぱり募る。

冷静に考えてみて、あのひどい環境で育っていたら、そりゃ自分を取り戻すのに、10年や20年は、かかるだろうなと思う。私じゃなくても。

自分を守ってやれなかった悲しみ・自分をわかってあげられなかった悲しみが、募る。募る。募る。

繊細な私だから、よく思い出しては、一人で泣いてしまう。
フラッシュバックみたいなものなのだ。勝手に湧き出てくる。

 

人生がすっかり変わってしまって、今は1歳くらいの気持ちだ。

自己犠牲をやめて、自分の幸せを一番に考えるという、まあ普通の人からしたら当たり前のことを、意識して過ごしている。

まだまだ慣れないこともあるけど、あまりの変わりぶりに、呆然としながら、

昔の絶望感と 今の希望を行ったり来たりしながら、日々を過ごしている。

ネガティブを感じないように生きてきた私だけど、避ければ避ける程、ネガティブはどんどん大きくなっていった。

だから、悲しみをちゃんと感じて、そして抱えながら、癒しながら、ゆっくりとまた歩きだす。

 

 

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