こんにちは、四柱推命鑑定師の、ほしかわみうです( ^ω^ )
最近、キンコン西野さんの Voicyのこの回を聴いていたら、相田みつをさんのお話が出てきました。
相田みつをさんといえば誰もが知っている、書道家・詩人の方ですよね✨
と思い、早速みてみました。
すると、あまりにもわかりみが深かった(あまりにも当たりすぎていて、感慨深い)ので、ブログでとりあげさせて頂くことにしました☺️✨
(ちなみに、‘わかりみ’という言葉は、美宇が好きなプロ奢ラレヤーさんがよく使っている言葉です😆)
❤︎ 目次 (タップするとジャンプできます)
相田みつをさんの命式
もうね、このお方、すごくわかりやすく言うと、
- 人間味があり、大衆受けする(己)
- 芸術家の王様としてのカリスマ性がある(傷官+帝旺)
- 人生がドラマチック(納音 + 生月中殺 + 生日中殺)
- 変わり者・天才(絶+生日中殺)
- だけど真っ当に、常識に沿って生きていきたい、という気持ちの間でゆれ動く(正官)
という感じでしょうか。
相田みつをさん、結構ハードな人生というか、マジでドラマチックだったんじゃないかな。。と、命式を一目みて、そう思いました。
でもさすがのカリスマ性ですよね😲✨✨
相田みつをさんの人生
相田みつをさんってどんな人生を送ってこられたんだろう?と思って、Wikipediaで調べてみました。
- 中学在学中に書や短歌・絵に親しむ
- 中学在学中に喫煙の濡れ衣をきせられ、軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念
- 卒業後は歌人・山下陸奥に師事
- 歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ
- 書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に1954年から7年連続入選するなど、技巧派の書家として出発した
- 専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した
出典:Wikipediaより引用
相田みつをさん、賞もたくさんとってらっしゃるし、割と順風満帆だったのか。。?と、最初思いました。
しかし、こうも書いてありました。
・1950年に栃木県芸術祭書道中央展に出品した「宿命」では、伝統的な書道界に対する複雑な思いを詩文書の形で吐露。専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した。
・相田は長く不遇であり、師匠の紀野一義によると、詩の文言が顧客に受け入れられずに長く苦しんだという。晩年の大衆的人気と商業的な成功とは裏腹に、文学や書の分野で相田の作品が評論されることはあまりなかった。
出典:Wikipediaより引用
この伝統・普通・常識とのはざまにいる葛藤感って、絶っぽいなぁ。。!!と、しみじみ思いました😲
(絶は宇宙人の星&生日中殺は、自分が宇宙人と気づいてない宇宙人)
相田みつをさんの名言
相田みつをさんの名言、美宇も大好きなので、こちらのブログにも引用させて頂きますね✨
一生勉強
一生青春ー相田みつをー
トマトにねぇ
いくら肥料をやったってさ
メロンにはならねんだなぁー相田みつをー
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないくるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないかなしみが
ただだまっているだけなんだよ
いえば
ぐちになるからー相田みつをー
おまえさんな
今いったい何が一番欲しい
あれもこれもじゃだめだよ
いのちがけでほしいものを
ただ一ツに的をしぼって言ってみな
ー相田みつをー
あなたがただそこにいるだけで、
その場の空気が明るくなる。
あなたがただそこにいるだけで、
みんなの心がやすらぐ。
そんなあなたに私もなりたい。
ー相田みつをー
‘ あなたがただそこにいるだけで ’の詩は、四柱推命的にいうと【食神】もちさんや【正財】もちさんのことを表している感じですね☺️✨
あのときの
あの苦しみも
あのときの
あの悲しみも
みんな肥料になったんだなぁ
自分が自分になるためのー相田みつをー
まとめ
相田みつをさんの詩、ほんとぐっときますね。。!✨毎回よむたびに、ホロッとします。。😢!
みつをさんの命式をみた後に 改めて詩をよんでみると、
大変な葛藤とか思いがありながら生きてきて、そこから湧きあがってきたものが、芸術になったんだな。。!!
と、本当に感慨深かったです😭✨
みつをさんの詩は、定期的によみたくなりますね
これからもたくさん、みつをさんの詩に励まされて、生きていくと思います✨
それでは今日はこの辺で、またね〜🍀