20年の大運天中殺が、ついに終わった⑤

こんばんは!しろたんです。

春が始まったとはいえ、まだまだひんやりする日も多いですね。風邪をひかないように、お互い気をつけましょうね😊

先ほど、サイト名を変えてみました。

前のサイト名はこちら。‘星河美宇のクズ日記’笑。

今は‘星河美宇の占い日記’になりました😄

ずっとサイト名を考えてるんだけど、いいサイト名が思いつかない。。笑。何かいいのないかなぁ??

引き続き考えていきますが、もしかすると ずっとこのままのサイト名なこともありえます笑。シンプルでいい様な気がする笑。

14〜23歳の大運、看護学校を辞めてからの心境

❗暗いのが嫌いな方は、読まないでください

20年の大運天中殺が、ついに終わる①

20年の大運天中殺が、ついに終わった②

20年の大運天中殺が、ついに終わった③

20年の大運天中殺が、ついに終わった④

さて、14〜23歳の大運の終わりにきました。やっぱり、思い返していると、長いな、20年って😆

私の大運表はこちら

21歳で看護学校を中退してからも、引き続き躁鬱で意識朦朧としていましたね。。

看護学校は3年制なのですが、その3年生の夏で中退した訳なのです。

留年が決まったとはいえ、自分で決めたとはいえ、とにかくショックでしたね。。

今までレールの上をずっと歩いてきて、思いっきり外れた感覚がものすごくありました。

天戦地冲らしいのですが、とにかく留年してまでも絶対に、看護師になりたい!という情熱が持てなかったのです(今でもなりたいとは全く思わないけど)。

また、私の中でとにかく強かったのは、

・みんな仕送りや頼れる実家もあって、不自由なく生活できて勉強にも集中できる。なぜ私だけこんなに惨めで、辛い思いをしなければいけないんだろうか

・仕送りあってバイトも少なければ、水商売とかせずに精神面も健康でいられたら、私だって普通に単位とれてたし、看護師免許もとれてたし、卒業もできたに決まってるじゃん

・なんで私ばっかり、普通の人生がおくれないんだろう

・なんで私ばっかり、こんな辛い目にばっかりあわなければいけないんだろう

・惨め。惨め。惨め。惨め。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい・・・・・・!!!!!!

もう本当に、舌を噛みそうなくらい、毎日毎日うなされる位、辛くて悲しくて惨めで悔しかったですね。

周りは何不自由なく、幸せであるのが当たり前かの様にキラキラ輝いている様に見えて、ただ自分が惨めで惨めで、どうしようもなかったです。

で、ここでまた例のパターンなんですが、私はこの上に書いた不満を、彼氏や友達やカウンセラーや親に聞いてもらうこともなく、ぶつけることもなく、ただ自分の中で溜め込んでいました。

(ただ、彼氏に対しては、情緒不安定すぎて、心を許しているので 突然泣き出すとかは、よくありました😂)

いい加減、ちょっとは吐き出せよと思いますが、愚痴や弱音、文句を吐くことはみっともないこと、恥ずかしいこと、周りに迷惑をかけること不幸自慢みたいに思われる、と思っていたんですね。

自分が散々愚痴や文句・泣き言を聞かされながら育ってきたので、その、聞かされる方の嫌さがとにかくわかる訳です。

もう、鬱憤(うっぷん)がたまってたまって、どうしようもなかったですね。

よく家庭環境が複雑で、社会に出てから人間関係などがうまくいかず、うっぷんがたまって犯罪を犯してしまうニュースが流れてきますが、

あれ、すごく気持ちがわかります。

もう本当に、理不尽さに苦悩するというか、自分が我慢しすぎて、希望が通らないことが多すぎて、普通の生活すらできなさすぎて、

幸せそうにヌクヌクとしている人間、かつ、

それが親の多大なサポートのお陰であることも気づいておらず、あたかも全て自分の功績だと思っている人間

には、最強に憎さを感じていましたね。

(今はそんなに感じないですよ、考えてもしょうがないことですし。

あと、犯罪を犯す気持ちはわかりませんが、やり切れなさ・無念さ・悔しさ・悲しみが 非常に理解できる、という意味です。)

本当に、自殺するか自暴自棄になって犯罪を犯さなかったのが不思議なくらい、異常に病んでいました。

そもそも、母親がいつも不幸な家庭や、その他複雑な環境にいざるを得なかった人が、社会に出て健全な情緒をすぐに持てる訳がないのです。

傷を受けた子どもは、立ち直るまでに その傷を受けた倍の年数がかかる、と聞いたことがありますが、本当にその通りだと思います。

私は幸いにも優しい彼が登場して、長い年月をかけて立ち直ることができましたが、その様な、いつも親身になってサポートしてくれる人がいなかったら、どうなっていただろうと考えると、本当にゾッとしますね。

長く支えてくれた彼と、天の采配に、本当に心から感謝しています。

↓関連ツイートです↓

東大祝辞を述べられた上野千鶴子さんのお言葉抜粋

初めて仕事をクビになる

看護学校を辞めてから程なくして、派遣の仕事(ホテルの配膳)を紹介して頂き、そこに入ることになります。

なぜ正社員の仕事を探さなかったかというと、もうこの頃 意識朦朧としすぎて、そんなことを考えられる状況でもなかったですね。

なんで病院にいかなかったんだろうと思う位の病み方で、病院に行ってたら一発で病気扱いだったと思います。

初めての派遣の仕事の、初日にマネージャーが怖すぎて(ゴリラみたいな女性で、迫力がある人。性格が悪くて社内で有名だった)、泣きましたw

それ位情緒不安定で、仕事場の人達にはドン引きされましたね。。

配膳の仕事なので、もちろん接客業です。多数のお客様と接します。しかも高級ホテルでしたので、よりしっかりした接客をしなければいけません。

私は真面目で頑張り屋でしたので、必死に仕事を覚えて動いていましたが、ほぼ空回りでした。

しつこいですが人脈の星がなく、かつ後者である私に、気遣いができるはずがありません。空気も読めません。

やろうと思えばできないことはないですが、多大なエネルギーを要します。

よくゴリラマネージャーに、スタッフの前で怒鳴られてましたね。。今ならパワハラで訴えられるレベルでした。

派遣の仕事を始めてから1年8ヶ月目に、マネージャーが突然寄ってきました。

その時言われたのが、

「あなたは、よく言えば自分を持っている。でも人の言うことを聞かない。辞めてほしいねん」

でした。人の言うこと、必死に聞いていたんですがね。。人の言うことを聞いて、気遣いをしまくっていたつもりでしたが、まぁまるで的外れだったんでしょう(後者あるある)。

使えなさ過ぎて、クビになってしまいました。

ここでも絶望しかなかったですね。

看護学校も中退してしまって、仕事もクビになってしまって、もう私はどうしようもないじゃないか。。。!!と。。。

優しい人達から送別会も開いてもらって、色紙なども頂きましたが、もう私には惨めさと悲しさしかなかったですね。

ここからさらに、私の躁鬱が激しくなっていきます。。!

(自分で書いていて、自分で心配になってきた)

 

 

 

 

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