当ブログへお越し頂き、ありがとうございます。
私のこの大運天中殺シリーズは、大運天中殺を論じるというよりは、
私の大運天中殺の時の、回想録となっております(現在 第5話まで書いております)。
最初にしっかりとお伝えしたいのは、大運天中殺が必ずしも悪運になるとは限らない、という事です。
私の過去の大運天中殺の期間は、親と同居していた時の、親の(表面的には)結構きつい運気をモロ被りしていたのも、かなり大きかったです。
(若年期の大運というのは、同居している親の運気もかなり受けるのです)
決して怖がらせるために書いている訳ではなく、自分の過去の癒しのために書いています。
その点をご理解頂き、ご興味がある方のみ、お読み頂けますと幸いです。
こんばんは!しろたんです。毎日寒いですね❄
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明日で20年の大運天中殺が終わる
今日は2019年2月2日なのですが、な、な、なんと!!明日で、
私の20年に渡る大運天中殺が、やっと終わるんですよ〜〜〜!!
ワー!!パチパチパチパチ✨✨
まず大運が何かと言いますと、10年ごとに切り替わっていく運です。テーマもその10年ごとに変わっていきます。
大運天中殺とは何かを説明しますと、天中殺が連続した20年間に渡りやってくる状態です。
天中殺とは、別名‘空亡’、六星占術では‘大殺界’とも表現されます。
天中殺については別の機会に取り上げたいと思いますが、端的に言いますと
- 時間があって空間がない
- 際限がないので、天上でも地の果てでも、どこまでもいきやすい
という状態です。
これが20年続くので、さぞ怖い、辛いのがずーーーっと続くのか、と言えばそんなことはなく。
要注意なのは最初の入りの5年と、最後の出の5年です。特に、年運の天中殺が重なっている場合、より注意が必要になってきます。
間の10年は、超絶好調✨の時期です😊
でですね、私の大運の流れが、こちらです↓
0〜3歳・・・・・庚辰 偏印 墓
4〜13歳・・・・辛巳 印綬 絶 14〜23歳・・・壬午 比肩 胎 (空亡) 24〜33歳・・・癸未 劫財 養 (空亡) 34〜43歳・・・甲申 食神 長生(明後日から⇦ココに入る♡) |
私は午未天中殺なので、大運表の地支のところに、‘午’と‘未’が入るところが、大運天中殺になるんですね。
その年の運気は1月1日から始まる訳ではなく、2月4日から始まることになっています。
で、私は明後日2月4日から、34〜43歳の大運に入ります♡
4〜13歳の頃の話、絶の大運
大運天中殺というのは本当に長いので、今それが終わろうとしている私は、もう、なんか
感無量です。本当に長かった・・・・・!
新たな運気を迎えるため、ここらで大運天中殺の、私の実例をお話しさせていただければと思います。
ここから、暗いのが嫌いな方は読まないでくださいね💦
本当に暗い過去だったので、自分の中に溜め込むばかりでずっと、人にほとんど話してこなかった内容です。
・まず4〜13歳の時には
3歳前後から母が入院しており、以降私が高校を卒業して実家を出るまで、入退院を繰り返す(父親がロクデナシで働かないため、母が妊娠・出産後も働きすぎて、体を悪くした)。
おそらく母と一緒に住んだのは、通算6年ほど。一緒にいる間は、ザ・不幸な人で、不幸な顔しか見たことないです。家が常に、実家を出るまで、不幸感で満ち満ちていた。体も弱って危篤になったのが2回。
父は働かずアル中。大病院の開業医のボンボンの家で生まれ育ったが、一人息子だったため とんでもなく甘やかされて育ったらしく、お金を使うことしか知らない。当時6歳程度の年齢だった私の少額の貯めていたお金を盗む(直感ですぐ父だとわかった)。母の多額の貯金を、勝手に全て使い果たす。
母がほとんど入院で家にいない、父は家事はほぼできないので、児童養護施設に私達3人兄弟を預かってもらえないか父が相談に行ったらしい。
9歳の時に、母の堪忍袋の尾が切れて、私達3人兄弟を連れて母の実家へ強制的にいくことになる。
母は体どころか精神も衰弱しきっており、意味不明の発言、行動を繰り返すようになる。まさに精神病の状態です。
家の中だけでなく、親戚の家や、一緒に外出した際にもおかしな言動をするので、よく変な目で見られていました。小学生の私には、ただただその度に、絶望感しかなかったです。
単純に、自分の母親が弱り切っているのを見るのは、本当に辛いですよ。。気が滅入りっぱなしで、なぜうちの家はこんなにも暗くて不幸で、普通ではないんだろうと、いつも思っていました。
いきなり親戚の家に連れて来られて、親戚と同居することになり、私もまだ子どもだったので、とても混乱していました。
しかも母は実家に戻って速攻入院しましたので、兄弟3人が実母なしで、親戚の家でいきなり暮らし始める訳です。
親戚の家には超怖い、軍人上がりの祖父がいましたので、まあいつも怖かったです。毎朝、私の父がいかに愚かでロクでもないかを延々と聞かされました。
別の場所に住んでいる叔母たちもたまに世話をしてくれましたが、まあいいところもありますが、子どもマウンティングをよくする人達で・・・よく気が滅入ってましたね。
あと、毒叔母がおり、この人には母と兄弟共に、この頃から現在に至るまで、トラウマになるような罵詈雑言を言われ続けました。凄いですよ、まさに妖怪みたいな人物なんです😱
まさに大運通りの、実体がない魂のような、絶感まんさいな10年でした😱😱😱
ここ、大運天中殺っぽいですが、まだ入ってないですからね??
長くなったので②に続きます。